松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

老後貧乏になる要因とは

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 京都も緊急事態宣言が出たものの東京都と比べCOVID-19(コロナウイルス)の感染縮小に大きな効果が表れていないような気がします…。それにしても日々、ニューノーマルという新しい世の中の動きに戸惑いながらも少しずつ馴染もうとする国民の努力やメディアの扱い方、そして職場環境を見ているとリアルに各方面の大変さを実感させられる今日この頃です。僕としてはこれからの世の中どのように変化していくか興味津々です。さて今回は、そんな目まぐるしい変化を続けている世の中で如何にうまく適応していくかについて考えてみたいと思います。昔から人間は、年齢を重ねるにつれ考え方に柔軟性が無くなり徐々に自分の意見を曲げなくなるとされています。よくいう「頑固な…。」と言うヤツですね。と言う訳で頑固故のデメリット引き起こすであろう「熟年者」をテーマにしてみたいと思います。

 

年収が減っても動じない頑固な貧乏

 まず最初に貧乏な老後を送らないためのポイントからみてみましょう。一般的に会社員の場合、多くが50歳で昇給はストップします。そして55歳で役職を離れ、役職分だけ給料が減り、60歳で定年退職…。最後に再雇用制度を活用して65歳まで無理くり働くことになるパターンだと思います。要するに60歳からの給料はグ~ンと半分くらいになり、ひたすら右下がりの収入構造へと変化し続けるわけです。

 

本当の意味で難しい年齢

 厄介なのが50代です。この年齢に差し掛かると給料が上がり、誰もが少し贅沢を覚えてしまう年齢でもあります。そこで問題なのが、贅沢を覚えた50代の家計です。この段階になると思考回路自体がもはや右下がりになる収入構造に追い付けないというか順応できなくなってしまうことが考えられます。イメージするならば、高収入だった時の消費生活にマヒしているのか、収入が減っても気にせず何となく、これまでと同じような外食や食生活を送り、趣味のゴルフにジム通い。毎月の決まり事であるかのようにショッピングなどを続ける家庭はまさに要注意です。

 

当てにし過ぎの退職金

 収入が減っているにもかかわらず、生活スタイルを変えることなく過ごしていると、確実に家計は破綻してしまいます。それでも何故か、安泰かのような幻想を抱いてしまうのは恐らく「退職金」のせいかもしれませんね…。考えるに退職金によって、前述したような破綻の危機が先送りされるので、本来は、早急に対策が必要な家計の見直しも、破綻の自覚がないため後回しになってしまうのです。そして気が付くと取り返しがつかないほどゲッソリ減ってしまうなんてことも十分に考えられます。たとえば、50代の給与が手取りで月50万円としましょう…。そして60歳になり再雇用で働くようになり給与が半分の月25万円と激減したという場合は、いくら退職金があるからと安心してそれまでの生活スタイルを続け生活水準を下げなかったら、年金生活が始まるまでに今まで蓄えたであろう貯蓄をすっからかんにしてしまうケースも大いに考えられます。まさにヒモジイ老後へまっしぐらです。

 

溺愛貧乏の危険性

 例え収入が乏しくなったとしても溺愛する子供がいる限りミジメさを嫌う親は、「このくらいは持っていて当然」「買って当たり前」というお金の使い方をするものです。そういう家庭は、子どもにもそれが自然と伝わっているのです。そして子どもは、それが「常識」だとしてとらえていきます。まだ、自分では十分稼げない子供達に、必要なものを自分でお金の工面をして買うことを教えるのではなく、必要なものだからと親が買い与えてしまうのです。こうして育った子どもは、親にねだるのが上手になります。スキルアップのために、資格取得の費用をねだったり、婚活のためにとブランド物の洋服をねだったり。「必要なのだから」と言えば、親がなんとかしてくれると思っているわけです。子どもが親世代になっても、「孫の教育のために、こういう習い事が必要なので、援助してほしい」とねだることもあるでしょう。そして親は、子どもにも孫にも、いい顔をしたいので、ねだられるとつい嬉しくなって、おもちゃやランドセル、そして洋服も買ってあげたくなってしまうのです。

子どもが困っているのであれば、助けてあげたいと思うのが親心です。ですが、それも限度があります。後先考えずに、援助をし続けていったら自分たちの老後のお金は無くなります。そもそも一般的に親というのは無尽蔵にお金を持っているわけではありません。自分たちの老後のお金を切り崩しながら、援助を続けていって、貯蓄が無くなったらどうなるでしょう? 毎月の年金では生活が困窮するようになって、子どもに頼り迷惑をかければ、本末転倒です。

 

最後に

 いずれにせよミジメさを嫌うあまり、身の丈以上の支出にも気がつかないと、確実にミジメな老後へまっしぐらです。もし本当にミジメでない老後を目指すのであれば、「こんなこともできない生活は『ミジメ』だ」という思いにとらわれないで、身の丈に合ったお金の使い方、即ち本当に自分にとって必要なものを見極める力をつけることのほうが重要です。「お金さえあれば、満足のいくものを買える」のではなくて、自分にとって、「何が心を満たすもの」であるのかも見つけていきましょう。そうすれば、今の支出も見直せて、加えて貯蓄を増やすことも十分可能になります。なにより「ミジメな生活はイヤ!」に覆い隠されている落とし穴にも落ちないですみますからね…。

 

 

人のダメな行動を考える

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 僕の住む京都は、朝から今年初めての雪らしい雪が降りました。周囲は薄い雪化粧にとどまり、路面の積雪には至りませんでした。ところで京都を含む関西三府県も明日から緊急事態宣言の対象になるようです。それにしてもコロナウイルスによる社会の変化はすさまじいものがあります。前回の時より少し緩い目とのことですが、僕たちの生活スタイル(ニューノーマル)はこれまで以上に「必要なもの」「不必要なもの」が明確になり、淘汰されていくのだと実感します。もうすでに変化は表れていますけどね…。

 

取り残される人とは

 近頃オフィスという場所は徐々に不必要なものとして挙げられています。コロナによってもたらされた変化は、テレワークを推進させ、通勤、オフィス在中というこれまでの通念を覆しつつあります…。また、今まで当然と言われていたビジネスの常識は、そうではなくなってきているとも言えます。そこで今回は、こうした新しい時代の変化にさらされながらも、その変化に順応し生き残る方法について考えてみました。そもそもネガティブな思考の人は、不安定な情勢に不安を感じながらも現状維持しかできず、徐々に弱っていく傾向にあります。これだけ早いスピードで変化が求められている中で、時代に取り残されてしまう人は他にどんな兆候があるのでしょうか…。

 

朱に交われば赤く染まる

 僕たちは社会的にいろんな人との関わり合いの中で生きています。なので他者を無視できませんし、なんなら様々な影響を受けたりもします。たとえば、普段から他人の悪口や不平不満ばかり言っている人や尊敬できない人と一緒にいると、当然ながら自分も同じような思考になってしまいます。自分の人生にとって本当に大切なものを見極められない状態になっていれば、ストレスや疲れが溜まりに溜まるでしょう。その結果、どうしてもうまくいかない…。途方に暮れてしまう…。体の体調がず~っとよくない…。など、悪い状況が続いてしまい、気が付くと新しいことを始める余裕もなくなり、いやおうなしの現状維持を続けてしまうのです。

 

生ぬるい環境から抜け出せない

 転職しようと思いながら同じ仕事に就いていたり、二度と体験したくないことをまた繰り返していたり、不要だと思っているのに続けてしまっていたりと、人はなかなかそんなスパイラルから抜け出せないものです。心理学の世界では「現状維持バイアス」というそうです。要するに、人は変化を避けて現状を維持しようとすることだとか…。もう少し具体的にいうと、今の現状に大きな問題がないならば、わざわざリスクを取ってまで変化する必要はないと考えてしまう傾向にあるということです。人はこうした毎日がずっと続くと考えて、なかなか今のこの現状を抜け出そうとはしないのです。いくら「やろう」と思っていても、「時間がない」「本当にやりたいのかわからない」などといって結局なにも実を結んでいないということは、今の自分のベストなものを選ばずに だらだら過ごしていることを意味します。 気づいたら同じことをしていた、なんてことがあるとすれば、恐らく自分自身に変革をもたらすことができていないということなのです。これは、恥ずかしながら自分にも大いに当てはまっています…。

 

「別にいいんじゃない」はダメ

 ビジネス的警告の例えに「茹でガエル」というものがあります。カエルをゆでて食べるということではありません。カエルは、熱湯に入れると当然、驚いて逃げ出します。しかし常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げるタイミングを失い、最後には死んでしまうそうです。変化に気づいていたのに水から出ることができなかったカエル…。世にも恐ろしい例え話でしょ。今の世の中、現状維持のままではおかしいと感じることは多々あるはずです。せっかく気づいたのに、「まあ~、いっか」と、ないがしろにしてはいないでしょうか。現状維持が癖になってしまったら、本当に変化が必要なときになったとしても、何も行動できず時代に淘汰されてしまうことになるので、そうならないよう十分に注意しましょう。

 

自分にとってベストな断捨離をする

 これだけ情報やモノがあふれている社会では当然、タスクも増えてきます。時間やお金など、何もかもが無限にあるわけではありません。それなのに、自分の身の回りにあるものすべてが、自分にとって大切なものや必要なものに見えてしまってはいないでしょうか。そういった色々なしがらみに囲まれて生きている状況というのは、ある意味、自分の人生をコントロールできていないということでもあります。そもそも常に何かを背負ったままの状態で、俊敏な動きはできませんからね…。身の回りのモノというのは知らぬ間に増えていくものです。そして気づいたら、どこから手をつけたらいいのかわからないほど増えてしまい何時までも片付けられません。そしてどんどん悪循環に陥り、結局何もできずじまいでやる気を失い、揚げ句の果てに自信まで失ってしまうのです。なのでそうならない様、断捨離できる習慣を何が何でも身に付けましょう。

 

ひょっとして我慢が癖になっている?

 「みんな頑張っているんだから自分も頑張らないといけない」「歯を食いしばって頑張らないと成功はできない」などという考えをいつの間にか持ってしまってはいないでしょうか。やりたくないことを我慢してやり続けることは、やりたいことを見つけられない道を自ら進んでいることと同じです。我慢ばかりしていると夢中になれるものが見つからなくなることさえあります。「そういうものだ」とか「仕方がない」などと言っていては、本当にやりたいことへの気持ちを抑え込んでしまう癖がついてしまいます。なので、とにかく流されず、思いこまずにそっち方向へ引っ張られないような思考を日々養うようにしましょう。

 

最後に

 常日頃から「普通は」「一般的には」「みんなやってるから」などという言葉を使っているとしたら気をつけたほうがよいでしょう。何故なら今、世界ではとんでもない変化にさらされています。コロナウイルスももちろんですが、科学技術は類を見ないスピードで発展しており、今まで空想していたことが今日には実現していることだって夢ではなく、これまでの常識だとされているものはただ更新されていくだけなのです。つまり従来の正しかった事例は、次の瞬間から失敗事例にもなりうるわけです。そもそも、僕たちは知らない間に教え込まれた価値観に縛られて生きています。だからこそ、これまでの当たり前や常識と考えられてきたものに対して「本当にそうだろうか?」という疑問を持たない状態は非常に危険であるといえるでしょう。

コロナによる社会的な大きい動きの中で、新しいやり方が模索され始めています。今までのやり方がこれまでどおり正しいということはなく、常識や固定観念で凝り固まった頭のままでは、大きな変化の中に埋没してしまいます。今のこの社会における大転換に焦燥感を感じることもあるかもしれませんが、ただそれと同時に、物凄い大きなチャンスでもあるのです。なぜなら、この瞬間こそ、自分も大きく変わり、成長するチャンスだからです。時代は常に流動的ですが、これほど流れの速い時代はこれまで類を見なかったかもしれません。だからこそ今の現状がベストなのかを考え続け、不必要なものは即座に捨てるということが大切なのです。それは考え方や習慣、人間関係にも当てはまることだと思います。これからは、本当に大切なものは何かを選び取り、不要なものを捨て、本当にやりたいことを達成することを目指しましょう。とにかく重要なことは、つねに自分の現状を疑い、余計なものを捨てるということです。そうすることで本当に大切なもの、本当にやりたいことだけが自分の中に残るはずです。混沌とするこれからでも、自分自身を見失わないためにできることから始めてみましょう。

 

 

自分は時間を正しく使っているか

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 昨年は、本当に激動の一年でした。だからといって今年はそうでないと油断する訳にはいきません。もしかすると昨年以上に激動の一年になるかもしれませんからね…。COVID-19も一向に収まる気配がなく、医療崩壊も秒読み段階のようにも見えます。景気についても日本はもとより世界中で経済に大きな影を落としているようです。そんな中今回は、お金同様にとても大切な「時間」をテーマにしたいと思います。昔から『時は金なり』ということわざがあります。 そもそも時間はお金と同じように非常に貴重なものです。なのでそんな貴重な時間を無駄に浪費してしまうことなく、できる限り有意義に使えれば良いなと考えます。そこで、自分自身が如何に正しく時間を使いこなせているかについて考えてみることにしました。

 

貴重な時間を無駄遣いしていないか?

 人間は太古の昔から第二次世界大戦の終結くらいまで、庶民のほとんどは恐らく生きることだけが目的だったように思います…。たとえば、狩猟や農耕などに時間を使っていたのも生き延びるための手段なのです。戦火の中、防空壕を掘ったり疎開するのもすべて生き延びるためなのです。しかしながら、気が付けば食糧はいつでも気軽に手に入るようになりました。なんなら捨てるほど食べるものが有り余っている始末です。因みに消費者庁のHPをのぞいてみると、日本では、年間2,550万トンの食品廃棄物等が出されています。このうち、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は612万トン。 これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食糧援助量(平成30年で年間約390万トン)の1.6倍に相当するとのことです。 また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶腕約1杯分(約132g)の食べもの"が毎日捨てられていることになります。そして命を脅かす戦争も、今の日本ではほぼ皆無に等しいといえるでしょう。

 

暇な時間を持て余すとは

 そうなると、ただ日々の生活に流されるだけでも人は生きようと思えば、生きていくことができるということになります。さらに言えば、「生き延びる」という目標を失った人間は、膨大な暇な時間ができたと考えることもできます。そこでこの「暇な時間をどう使うか?」となります。だからこそ、生きること以外に何か目的、目標、価値を置かなければならないのです。そうしないと恐らく僕たち人間は夢も希望もないとてもつまらない一生になってしまうかもしれないからです。

一般的に僕たちの多くは小・中・高で12年間、人によっては大学に行き合計16年間の学校生活を過ごします。社会に出て働き、1日の仕事を終えたら今度はプライベートな時間を過ごします。ただただテレビを見ながら食事をして寝るという日々の人もいるでしょう。週末はショッピングに行き、長期の休みは旅行に行くなど…。そして更に将来をイメージすると結婚・出産を経て子育てをし、子どもがまた社会に出たころ、定年退職で引退…。老後は孫の世話をしたり仲間とお茶したり、のんびりと過ごすので。そう考えると、仮に80年の人生(僕の場合は100歳まで生きるつもりです。)は壮大な暇つぶしとも言えるでしょう。

 

時間こそがすべての人にあた得られた平等なチャンス

 人は何かを成しても成さなくても、時間は平等に与えられそして過ぎていきます。映画や旅行も暇つぶしですし、テレビや読書も暇つぶしです。仕事は生活の糧を得るという目的はあるものの、それで1日の大半が過ぎますから、やはり暇つぶしのひとつと考えられます。そしてその暇つぶしを、自分や社会にとって価値のあることにして過ごすのか、価値のないことにして過ごすのか、大きく二つにと分けられます。たとえば、通勤や通学の時電車内などでスマートフォンに触れている人の画面を覗いてみると、たいていの場合ゲームかSNSなどをしています。それらは、基本的にやってもやらなくても、誰も文句を言わないし、誰も困らないでしょう。でも仮に自分の仕事がプライベートでも役に立つとしたらどうでしょう?たとえば、自分はシステムエンジニアという場合、その知識を活かしてプライベートな時間に地元の子どもたちなんかに簡単なゲームの作り方など、チョッとしたプログラミングを教えてみるということができます。これも勿論、やらなかったとしても誰も文句を言わないし、誰も困りません。しかし、やれば子どもたちに価値を提供し、喜ばれることになります。そしてさらに言えば、自分の名前や、していることが地域に知れ渡り、コミュニティができるかもしれないし、地元の学校からも出張授業の依頼があるかもしれません。これを有料でやれば副収入にもなるでしょう。

 

最後に

 いずれにせよ何で暇つぶしするかは個人の自由です。そして、何かを成しても成さなくても、僕たちには同じ時間が与えられ同じように時間が過ぎていきます。そして大部分の人たちが100歳を迎える前にこの世を去り、自分の孫が寿命を迎えるころには、自分を直接知っている人間はこの地上からいなくなるのです。そう考えたとき、どうせ一度の人生です。自分が自分であるために、自分が生きた証しを後世に残すために、せっかくなので価値ある時間を使う努力をしてみてはどうでしょうか…。

 

 

日本の最低賃金を考えてみる

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 最近、僕の住む亀岡市もここに来ていよいよ氷の世界のような寒さになってきました…。バイク通勤の僕としては身が凍る思いです。しかしながらバイクディーラーで働く以上やはり通勤は、バイクだ!とチョッとむきになってる自分もいます…。それにしても世の中ではどんどんコロナウイルスが猛威を振るいだし、京都も1日で100人を超えちゃいました。それといよいよ本格的に「緊急事態宣言」や「医療崩壊」というワードが紙面を踊るようになり現実味を帯びてきました。死亡者も徐々に増えだすなど不安の材料は後を絶ちません。そうなると当然のことながら、経済的にも厳しい社会生活をおくられている人は益々不安になるでしょう。そこで今回は、そんな厳しい社会人の現状を少し調べてみることにしました。
今の社会において、もちろんすべての企業がそうだと言いませんが、厳しい賃金で働いている環境の中には質の高い人材を安い賃金で働かせることで、経営者を怠慢にした日本企業の現状があるのではと感じさせられます。その結果、膨大な数の消えるべき中小企業が生き延びてしまったと専門家もいっています。そしてこの非効率を是正する特効薬こそが最低賃金の引き上げだそうです。
 

最低賃金を引き上げが世の中を変える

 日本の国というのは先進国の中で最低水準の生産性とされています。そしてこれを高める方法は、ズバリ低水準にある「最低賃金を引き上げることだ」と専門家は結論付けています。それだけでこの日本は劇的に良くなるそうです。最低賃金が低いと、経営者は安く人を使えます。それで利益が出るから、経営者は頭を使わなくなり、機械化やIT化のための投資もしなくなってしまうのです。最低賃金の低さが経営者を甘やかして、本来高められるはずの生産性にわざわざブレーキをかけているのです。

実際に、日本の最低賃金は先進国の中で最低クラスのようです。先進国最低であるスペインに次ぐ低さだとか…。また、1人当たりGDPに対する最低賃金の割合は、ヨーロッパ諸国が50%前後であるのに対して、日本は34.9%と低水準なのです。

 

不当な最低賃金

 驚くことに日本の最低賃金はどうやら不当に低く抑えられているようです。2016年のWorld Economic Forum(世界経済フォーラムのランキングでは、日本の人材評価は世界4位です。ほかにトップテンに入っているのは、人口の少ない国ばかりです。人口が少ない国は異常値が出やすいからですが、そのような傾向がある中でトップテン入りしている事実は誇っていいでしょう。ちなみに日本の次に評価されている大国はドイツで、11位。日本の人材評価は、人口の多い先進国で最高レベルです。にもかかわらず、最低賃金は先進国で最低水準ですから、不当と言っても言い過ぎではないでしょう。

では、どうすれば最低賃金を人材評価に相応しい金額にできるのか?専門家曰く、考え方として経営者が自ら進んで最低賃金の引き上げに賛同することを期待してはダメだそうです。何故なら経営者は人手不足に陥らないかぎり、できるだけ安く人を雇おうとする生き物だからだそうです。市場原理に任せると、基本的に人件費は下がるものだと考えたほうがいいでしょう。なので賃金を上げるには、嫌がる経営者を無視して国が強制的に引き上げるしかないのです。現在コロナ禍で政府が盛んに自粛を呼びかけるような感じでしょうか…?それが最低賃金制度の本来の主旨でもあるのかもしれません。

これは人権上の問題だけでなく、日本の生産性の低さを温存する一因にもなっていると考えられています。なので放っておくと、一部の経営者はこうやってズルをして、少しでも人を安く使おうとエスカレートしていくのです。従ってそうならないように、国は最低賃金を引き上げたうえでしっかり目を光らせておくべきなのです。

World Economic Forum

世界経済フォーラムは、経済、政治、学究、その他の社会におけるリーダーたちが連携することにより、世界、地域、産業の課題を形成し、世界情勢の改善に取り組むことを目的とした国際機関。1971年に経済学者クラウス・シュワブにより設立された。スイスのコロニーに本部を置き、同国の非営利財団の形態を有している。 ウィキペディア

 

本当の狙いは中堅企業を増やすこと

 では、最低賃金をヨーロッパ並みに引き上げるとどうなるのでしょう…?恐らく最低賃金で働いている人たちだけでなく、その上の層、そしてさらにその上の層にも賃上げ効果が及ぶと推測されます。たとえば、最低賃金より少し多くもらっていた人は、最低賃金の引き上げによって給料が最低賃金と変わらない水準になります。それは嫌だと思う人は、より賃金の高い職場を求めて転職しようとするでしょう。企業はそれを引き留めるために、その上の層の賃金を上げざるをえなくなるのです。このような玉つきで、全体の賃金が上がるという仕組みです。

更に言えば、最低賃金で働く人たちは消費性向が高いというデータがあるそうです。高賃金の人の給料を上げても貯蓄や資産運用に回るだけですが、低賃金の人の給料を増やせばモノやサービスがよく売れて、経済への直接的なプラス効果が期待できるのです。そして、最低賃金の引き上げには、忘れてはならない効果がもう1つあるといいます。それは生産性の向上です。日本の生産性の低さは目を覆いたくなるレベルです。総合の生産量であるGDPは世界第3位であるにもかかわらず、多くの先進国と比較した際に日本の労働生産性は低いと言えます。日本は人口減少が進むため、生産性を引き上げないとGDPを維持できません。GDPが減れば社会保障費を捻出できず、国は崩壊するしかないのです。それを防ぐには、労働生産性を高めて一人一人の所得を増やす必要があります。そのための有効な手段が最低賃金の引き上げだと専門家は指摘しているのです。

 

最後に

 最低賃金が高いから生産性が高いのか、あるいはその逆なのかという因果関係は、正直僕にはわかりません。ただ、相関関係が強いのは間違いないので、多くの国はまず最低賃金を上げることで生産性を高めようとしているようです。現実に成果も確認されつつあるようですよ。とにかく決定的な結論が出てからでは手遅れなのです。

日本の生産性が低いのは、日本の企業数のうち中小企業が占める割合が高いことが推測されます。そもそも企業規模が小さいと、生産性を高めるためにICTを導入することも女性が産休・男女問わず育休を取りながら働き続けることもできません。要するに器を大きくしないことには、生産性向上は遠い夢の話なのです。

ICT「Information and Communication Technology(情報通信技術)」の略で、通信技術を活用したコミュニケーションを指します。 情報処理だけではなく、インターネットのような通信技術を利用した産業やサービスなどの総称です。

 

もちろん最低賃金を引き上げても、会社を成長させられず、単に利益を減らすだけの企業が出てくるかもしれません。しかし、シビアに考えるとそれで経営難に陥るような会社は無理して続ける必要はないのかもしれません。そもそも中小企業の数が多すぎることが日本経済をひっ迫させている一つの現況なら何か画期的な方法で産業革命を起こさないとダメかも…。

 

 

人生のぬるま湯にあなたは何回入りましたか?

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 いよいよ秋も深まり限りなく冬に近づいてまいりました。そのせいか天気の好い日の空は宇宙との境目がわからないほどの透明感と清々しさでいっぱいです。ただその反面心と懐との肌寒さをいっそう感じる今日この頃でもあります。さて、そんなネガティブな気持ちはおいといて今回ですが、これからの人生においてできるだけ後悔しない心構えをテーマに考えてみたいと思います。

 

不安から確信に変わる後悔

 さて、誰もが経験するであろう若い頃…。そんな時代の絶え間ない努力、スポーツなどで培った体力や柔軟な動きそして学習から学んだ考え方に至る様々な経験を多かれ少なかれ過ごしてきた思います。しかしそんな貴重な経験も残念ながら今日まで活かせず、考え方も体も硬くなり若かりし頃の積極性まで失われ現在を悔やむ人は少なからずとも存在していると思います。それはきっと人生の「ぬるま湯」につい足を入れてしまったからなのです。僕自身も実のところ幾度となく入った感があります…。そこで、今からでも踏みとどまるために、自分が今まで取り組んできたメインの仕事の両サイドにある業際的(ぎょうさいてき)な業務を、準専門レベルまで引き上げる勉強や経験を積んでおくことが人生巻き返しの一つの方法だと僕は思います。しかしながら、もしそのことに役職定年後気づいたとしたら、それはもう時すでに遅しということになってしまうでしょう。そこで、そうならないようにあえてヤバそうな事柄いわゆる「ぬるま湯」をいくつか紹介しますので是非参考にしてください。

 

自分の可能性を過小評価してしまう

 個人差はもちろんありますが人は、ある程度の年齢に達すると「自分はどうやらこの辺りまでだな…。」と、限界を勝手に決めてしまい結果、後悔してしまうケースがあります。たとえば、仕事をしている時など組織の中で思うように出世できなかった人は、残念なことに「無力感」という覚えなくていいものだけを学習してしまったりするものです。そのため「これまでだって大して報われなかったんだから、今からも必死に頑張ったところで、自分には大したことできないだろう…。」と、自らを過小評価してしまう傾向にベクトルが働くのです。

しかし世の中は、ただ仕事ができれば出世できるというわけではありません。昔から「一人に認められたら7人の敵ができる。」と言うくらい誰しもがそれなりの苦労をするものです。要するに、昇進するかどうかの決め手は、実力やスキルも確かにあるでしょう。しかし何よりもその時の運が明暗を分けるケースがあるということです。上司の好みや、たまたま所属していた事業部が主流か傍流(ぼうりゅう)か、だったりするのです。なので自分を否定する前になぜそうなったかを少し考えてみてはどうでしょう…。もし自分がそんな負のスパイラルに陥っていると感じるならば、きっとどこかに脱出の切り口が見つかるはずです。

 

会社が見る自分の評価を考える

 たとえば、長年今の会社で働いてきて惰性(だせい)を感じ、いつのまにか「自分の限界はこの辺りだな…。」と線を引いて、さらなる成長やアップデートの追求、人脈づくりをなんとなく止めてしまったという人は、確実にそのことが人生において大きな後悔を生むので十分に注意しよう。自社への帰属意識というのは厄介なもので、50代以降は、自分の市場価値を知る上での障害になりかねません。「自分の価値は、本当にこの年収分なのか?」と、疑わなくなってしまうのです。

市場価値以上の年収をもらっている人もいれば、逆に過小評価されてずいぶん低い年収に甘んじている人も少なくないでしょう。同じ50代でも、年収450万円の人よりはるかに生産性の低い人が年収900万円以上もらっている、なんて話もザラにあるようです。

 

やりたい事とやりたくない事のバランス

 長年会社の中にいると「何がやりたくて、この会社に入ったか」ということすら、思い出せなくなる人も多いと思います。上司に指示されるまま仕事をして10年、20年たつと、「やりたいことが何かなんて、考えても仕方ない。どうせ上の指示通りにやらないといけないんだから…。」と思うようになってしまうのです。当然、「やりたいこと」の方がモチベーションも高まるし力も発揮できるのですが、「そんなこと考えてもムダ。がっかりするだけで、むしろ精神衛生上よくない」と割り切って、月並みな手腕で仕事をこなすようになり、成長が止まってしまうのでしょう。そしてある瞬間突然こう思うのです。「あの時、あきらめずにもっと『やりたいこと』にチャレンジすればよかった…。」と、後悔するのです。

 

低い条件の雇用に甘んじた後悔

 定年間近になり、「再就職・転職や起業は面倒だし、社会保険もあるし」という安易な気持ちから、社畜的雇用に甘んじてしまい、「別の選択をすればよかった」と、後々の後悔している人も少なくないでしょう。このようなタイプの人には、長い雇用の期間に転職などのアクションや情報収集すら行わなかったことを後悔している人もいれば、アクションを起こしたり、これまでの人間関係からオファーをもらったものの、踏ん切りがつかなかったことを後悔している人もいるのではないでしょうか。世の中というものは極寒の地にある露天風呂の様なものです。「ぬるま湯は、ぬるくていやだけれど熱くはない代わり寒くもない。」湯船を出て少し歩けば、熱いお風呂があったり屋内へ回避できるのに何故かそういう人たちはぬるま湯に文句を言い不平不満を感じながらそこに居たがるのです。極寒の外に湯船からすっぽんぽんで出て移動するのができないのです。そしてその理由がなんと「寒いのはイヤ」というから驚きます…。

 

充電という名の恐怖の思考停止

 ここでいう思考停止病とは、何かを考えるとき脊髄反射的(せきずいはんしゃてき)もしくは刺激反応型(しげきはんのうがた)を指します。たとえば、会社はこう考えてるだろうから、自分としてはこう思うとか、部長はこう思うだろうから、自分は…。と、なってしまうことです。答える相手がどう思うか、誰がどう判断するかなどと斟酌(しんしゃく)しながら考える日々が何十年も続いてしまうと、そこから解き放たれた自由な発想ができなくなるのです。

聞くところによると日本はとくにこの傾向が強いそうです。なので自由を知らずに働き続けた人達は、定年まじかになると確実に戸惑ってしまうわけです。たとえば、50代を卒業したら、何をしたいですか?という質問に、どれだけの人が個人としての意見を答えられるかです。僕が思うにそんな時は、きっと皆さんこう言うと思います。「少し充電してから考えます…。」みたいに。まさにこれが思考停止というひとつの症状なのです。

 

気が付けば働かない人間になっていた

 今の時代は新入社員から定年寸前のベテラン社員までガッツリ働かなければなりません。いわゆる成果主義時代です。若手からみる定年まじかの管理職いわゆるシニア社員などは「ITリテラシー(適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する能力など)が低く、新しい技術についていけないシニア社員のおかげで、自分たちの負担が増えている…。」という不満が募っているそうです。更にそういう生産性の低いシニアの年収が、自分たちよりずっと高いのはなおのこと許せないのです。実際シニア社員達の中には、「自分は十分働いている」と自身に言い聞かせる反面、心のどこかでは、「そう思われても仕方ないな~。」という後悔をしている人もあんがい多いかもしれませんね…。確かに一昔前までは、それが当たり前だったのかもしれませんが、恐らくこれからはそんな時代は二度と再びこないでしょう。

 

自分というアイデンティティを確立できているか

「○○銀行の松村堂です。」とか「○○商事で部長をしております松村堂です。」といった名刺や組織というバックボーンがなくなると、はたしてどれだけ自分にブランド価値があると思えるでしょう…?定年後に名刺を作り、裏に出身企業名や「元部長」などの肩書、はたまたご丁寧に出身大学・学部まで入れているシニアもいるようですが、これはもう明らかにアイデンティティの喪失を恐れたパターンと言えるでしょう。重要なのは会社の名刺がなくなっても消えない自分のアイデンティティを確立できなかったという後悔にも見えなくはないですね。勿論、独立・創業して新しい仕事を始める際に、名刺の裏に出身企業や出身校を入れるのは戦略的ですから、それはそれで一つの方法だと思います。

 

モチベーションが湧かなくなった

 定年が射程圏内に入りだすとモチベーションが維持できなくなる人が多いそうです。まず考えられることは年収の激減です。それに集中力が続かなくなり、体力の衰えを実感しだし社内でのジェネレーションギャップに疎外感を感じだすなど、今まで感じたことがなかったネガティブな感情が芽生えだし、結果モチベーションが下がるのではないかと考えられます。

 

最後に

 会社での定年に気をとられ、人生に定年がないことをすっかり忘れていた人は残りの人生に大きな不安を持つのではないでしょうか…。要するに再雇用も含め仮に65歳まで働いたとしても今の日本であれば残り20年くらい人生は続きます。その残りの人生の過ごし方に何も考えず、無為に過ごしてしまう事だけは避けなくてはいけません。元気に残りの人生を全うしようと考えるならば、お金の問題や人間関係、それに最も大切な生きる意欲です。現役当時は日々仕事に忙殺されて、それどころではなかった人も多いでしょうし、なんとなく漫然(まんぜん)と過ごしているうちにいつの間にか定年に…。という人もいるでしょう。あと、チョッと厄介なのが「定年になったら、まずはゆっくり充電しながら、その先のことを考えよう…。」と、考えている人達です。

しかしその充電期間が終わった後にどれだけ残りの人生を充実させるプランが、思いつくでしょうか?いいいよ役職定年や雇用延長が射程に入ってきた世代は、この辺りを呑気に考えず一日も早く真剣に定年後の人生設計を完成させる努力をしましょう。

 

 

 

意外と少ない?100歳まで生きたい人

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 ようやくわが町京都も雨が上がりました。台風一過のようにスカッとはいきませんが、それでもどうにかこうにか晴れまが見えてきました。気温も昨日までと打って違いとても暖かく過ごし易い秋の空気です。「できることならこのまま春が来ないかな~…。」と思う今日この頃です。さて今回は、長寿について少し考えてみたいと思います。もうずっと以前から僕自身は思っているのですが、「100歳まで生きたい!」という願望を常々持っています。もちろん健康体を条件にですけどね…。根拠としては、やはり世の中の進歩をライブで見続けたいというのがあります。

僕は、幼少のころからSF漫画、SF映画、SFアニメ、SF小説、などが大好きでとにかく一つでも多く現実のものになったら体験したいのです。なのでもし近未来にタイヤの無い車が道路を走りだしたら絶対乗ってみたいし、AI(人工知能)ロボットと友達にもなりたいのです。それに5G更には6G、7G…と通信システムの進化も凄まじいものがあり何かにつけてわくわくで期待大です。とくにかくこれからも進化していくであろう生活環境をバンバン体験したいのです。しかしそんな僕の思いと真逆の考えを持つ人達が、僕の調べた限りになりますが、思った以上に沢山いることを知りビックリしました。「みんながみんな100歳まで生きたくないのか~」としみじみ感じました。

 

100歳まで生きたくない理由って?

 今や「人生100年時代」という言葉が当たり前のように定着しつつあります。それを受けて「人生100年時代」をどのようにとらえているかについて各大手企業や団体が様々な調査やアンケートをしているようです。その中の某生命保険が2018年に「人生100年時代に関する意識調査」をした結果を参考に、長寿に関するみなさんの意識を探ってみたいと思います…。

 

100歳に興味あり派

 まず「人生100年時代において、あなたは100歳まで生きたいと思いますか?」という問いに、調査対象者20代~60代の男女1000名で調査をしたそうです。そして次のような回答が得られました。まず、あなたは100歳まで生きたいですか?の問いに、そう思うが(14.8%)そしてとてもそう思うが(6.4%)と答えは、その二つを合わせても、なんと僅か21.2%だったそうです。要するに100歳まで生きたいのは、たったの2割程ということなのです。

 

100歳に興味なし派

 一方で、あまりそう思わないが(41.9%)とまったくそう思わないが(36.9%)と、これも二つ合わせて、78.8%が「100歳まで生きたいと思わない」と答えたそうです。僕がもしこの質問を受けたら、「超思います。」と答えますから、この結果にはまったくもって理解できないですね…。

 

長生きしたくない本当の理由

 ま~納得いかないのは僕の勝手なので横に置いといて、アンケート結果から皆さんの声をいくつかピックアップしてみました。

  • 健康で自分の事は自分で出来るのであれば長生きしたい(20代女性)
  • 長生きしても生活に余裕がないのではないかと思うから(30代男性)
  • お金がない状態と医療費の増える時期と重なりそう(40代男性)
  • 無理して長生きするより、短くても楽しく充実した生活をしたい(50代男性)
  • 心身共に健康でいる自信が無い(60代男性)

う~ん…、どの意見にも確かに一理ありますね。どれをとってもリアルで生々しいですね。いずれにしてもこれから先、約50年近く心身の健康を維持するのは、お世辞でも簡単とは言えませんからね。以前にも書きましたが、人間の保証期間いわゆる自然治癒力は、30代を境に衰えていくとされています。なので著しい医療の発展がない限り100歳まで生きようとすれば、自己管理の徹底が年齢と共に求められるわけです。

 

生きぬく意欲とその為の備え

 調査に参加したみなさんは、「長生きすることは、リスクになると思いますか?」の質問に、78.6%が「そう思う」と答えたそうです。それでは一体どんなことをリスクと考えているのか見てみましょう…。

  1. 身体能力の低下 71.3%
  2. 収入の減少(資金不足)70.9%
  3. 年金制度の破たん 62.4%

この3つがどうやら長生きの3大リスクだったようです。因みにこの調査では、「生きていく意欲」と「備えること」には、興味深い相関関係がみられたとしています。人生100年時代に起こりうるリスクに「備えられている」と答えた人のうち42.7%が「100歳まで生きたい」と答え、「備えられていない」と答えた人のうち83.1%が「100歳まで生きたくない」と答えています。「なるほど…そういう事か!」要するに備えができていれば長生きする意欲が向上するということだったんですね。納得!

 

最後に

 とにかく、好むと好まざるとに関わらず、100歳以上、生きてしまうかもしれない時代に生きている僕たちは、できる限りの備えをすることが必要ということがこの調査で分かったような気がします。具体的には、お金の準備、生涯現役で働けるキャリア・スキル磨き、心身の健康のキープ、高齢期の孤立を防ぐ絆作りなどが「備える」に当たる部分でしょう。なのでそれがないと人は、心の中で複雑に不安を増幅し結果「いろんな意味で苦しいなら長生きしたくない…。」となるわけです。ただ、僕の場合どれも備わっていないような気がしますが、何故か長生きしたいという意識が強いんです…。僕に限ってかもしれませんが、絶望を圧倒する希望さえ持てば、全てとはいいませんが幾つかは乗り越えられるような気がします。あなたはどうですか?

 

 

 

達成できない人に共通する癖?

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 それにしても今年は何かやたら雨量が多いような気がします。それに台風14号の影響で僕の住む京都も昨日からず~っと雨です。そして今もまだ雨です。台風も確かに秋の風物ですが、同じ秋なら秋晴れのほうが僕的には断然いいですけどね…。さていきなりではありますが今回は、人の癖について考えてみることにしました。それこそ人の癖というのは、様々な形で表現されます。そんな癖ですが今回は、内面的でネガティブな部分である「できない癖」について考えてみることにします。そこで、どうせ例えにするなら僕たちが生活する中で密接に関わってくる「お金」をテーマにしようと考えてみました。

 

まずはお金が貯まる人の共通点

 当たり前の話ですが、世の中にはなぜかお金持ちになる人と、その逆にどうしても貧乏になってしまう人が存在するようです。もちろんどっちでもない人もいるでしょう。ではその違いはいったい何んでしょうか…?恐らく世界中の心理学者たちがこの難題にずっと昔から取り組んできたに違いないと思います。僕の浅~い調べによると、そもそもお金持ちになる人というのは、いくつかの共通点があるようです。

たとえば、「お金持ちになる人はそもそも自制心が強い」というのがあります。米国の某有名大学の研究によると、「将来のために今を我慢できる人ほど、人生で成功する可能性が高い」ということが確認されたそうです。また、お金持ちになる人は息抜きが上手とも考えられているそうです。というのも、ストレスが溜まると自制心が崩壊し、無駄遣いが増えてしまうからだそうです。う~んなるほど~納得…。

 

お金が貯まらない人の致命的「癖」

 さて、ここからが本題です。そもそもお金が貯まらない人というのはどうやら共通する致命的な癖というのがあるそうです。それは、ズバリ「自己連続性が低い…。」という事が大きくかかわっているようです。因みにメンタリストのDaigo氏も自己連続性について興味深く詳しく説明されていましたね。

 

自己連続性とは

 それではまず「自己連続性」を掻い摘んで説明しましょう。「自己連続性」とは今の自分が将来にわたって連続している…?と捉える度合いのことを指します。自己連続性が高いと、「今の自分は、将来の自分と似ている」と考えがちなのに対し、逆に自己連続性が低いと、「今の自分は、将来の自分とは別人だ」と考えてしまうのです。これでいくと、自己連続性が低く「今の自分は、将来の自分とは別人だ!」と考えている人ほど、お金が貯められない要するに貯金できない傾向にあるということになります。

 

違う角度から見る自己連続性

 自己連続性という概念の話をお金だけで説明すると、イメージしにくいかもしれませんね。それでは、「明日から頑張る」という口癖を例にとって説明しましょう。「明日から頑張る」は、自己連続性の低い人が好きそうな言葉かもしれません。なぜなら「明日から頑張る」という口癖には、2つの意味が含まれているからです。まず1つは、「今日の自分は頑張っていない」という意味があります。そしてもう1つは、「明日になれば自分は頑張れる」という意味です。しかしこの2つの言葉よくよく考えてみると、言っていることが無茶苦茶だと思いませんか?どうして、今でさえ頑張れない人が、明日から頑張れるのでしょうか? と疑問に思いつつも自分自身、耳が痛い話です。

 

明日からではなく今から

 とにかく「明日から頑張る」を改めさえすれば、恐らくお金が貯まる人になれる…?かもしれません。おさらいですがお金が貯まる人は、自己連続性が高いということです。要するに自己連続性が高いとは、「今の自分は、将来の自分と似ている」と考えることを指します。自己連続性の高い人は「明日から頑張る」とは考えないのです。逆に、「今頑張れないなら、明日も頑張れない」と考えるのです。そして、何より「明日から」ではなく「今から」頑張ろうとするのです。

 

最後に

 と言う訳で、結論としてお金が貯まらない人は未来の自分を今の自分と別物に考えがちで、おまけに今の自分を棚に上げがちなのです。それに対して、お金が貯まる人は未来の自分は今の自分と似ていると考え、未来を現実的に見積もり、今から直ぐに努力できる考えを持っているのです。とにかく、明日から頑張る…。が口癖の人は、今日から心を入れ替え何が何でも「今日から頑張る!」そして「明日から頑張る!」と言う口癖に封印をして日々活動していくように心がけてみてはどうでしょうか。