松村堂

気になることは、気にとめる事にしました。

年齢の見た目に対する人の心理

f:id:rjmatsumura:20200628113501j:plain

 ここ4~5日都心部では50人を超える感染者が確認されていて京都の祇園界隈でも運送関係で4人ほど出たようです。皆さん決して油断してるとは思いませんが、とにかく見えない敵と戦うリスクを背負い仕事をするのはホント大変だと思いました。それとコロナの感染も確かに怖いですが、経済の衰退も怖いです。日本では沈静化に向かっていると各メディアでは公表されていますが、実際のところはよくわかりませんね…。とにかく本当の意味で元気で健康な日本に早く戻ってほしいものです。そういえば、WHOに健康の定義というのがありましたね…。

覚えているでしょうか?1947年に採択されWHOで憲章されたものです。その健康の定義が以下のようになります。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」そうなると今の現状がこの健康の定義にほど遠いことが、はっきりと確信できます。さて今回は、他人から映る自分の見た目について少し考えてみたいと思います。前述した健康状態も人によっては大きく見た目に影響するのかもしれません。そんな見た目ですが、ぜんぜん気にしないという人もいれば、その真逆な人もいます。いずれにしても人はどうもがきあがいても年齢を積み重ねやがて老いていきます。そこでせめて無理のない悪あがきで見た目の若々しさを保持できればと思いなにか良い案があるか早速調べてみることにしました。

 

いつまでも若々しく見られたい

 人それぞれではありますが、ガッツリ歳を重ねているにもかかわらず何故かいつまでも若々しい人もいます。そうかと思えば、年齢以上にビックリするほど老けて見える人も存在しています。恐らく、大人になっても精神的に成熟しているもしくはそうでないことが、老け込みの明暗を分けているのかもしれませんね…。それでは実年齢より若々しく見える人との違いは、一体どこにあるのでしょうか?それはズバリ、若々しく見られる人が行っているであろうすべき行為がいくつか抜けていると考えられます。

 

「どうせ誰も見てないし…」からくる油断

 たとえば、歳を重ねている女性の場合、特に恋愛からほど遠くなってしまった人は、自分に対しての手入れをあまりしなくなるといいます。「どうせ誰も見ていないから…。」と今まで続けていたスキンケアをしなくなったり、髪の手入れを疎かにしたり、体型に無頓着になったりなどなど…。それでも、本人が自分の姿に満足しているのであれば、問題ないでしょう。しかしながら、今の自分を気に入っていないのに、ただ単純に怠惰な気持ちに負けている場合は少しヤバいかもしれません。なぜなら、それらの発想や行為は自分を大切にしていないのと同じだからなのです。それに例え人に見られなくても、自分は毎日、そんな自分の姿を見ています。人は、一度自分のことが嫌になると、どんどん自分のことを大切に思えなくなって行くといいます。いわゆる自尊感情がどんどん下がるっていうやつでしょう。なので自分のことが嫌になる前に何とかしましょう!

 

身だしなみの重要性

 いつの時代も身だしなみひとつで相手の対応が違ってくることは大いにあります。なぜなら、清潔感があり綺麗であることは、相手への礼儀であり、思いやりでもあるからなのです。なのでだらしない格好で人と会うというの事は、「相手にとって自分と会うことは、その程度のことなんだ…。」と、どこか自分を軽んじられた気分になるかもしれないからです。だからこそ、自分のためにも、関わる相手のためにも、ある程度、身だしなみを整えることはとても重要な事なのです。とにかく自分の目に映って不快と感じる他人の容姿はしっかりと参考にしましょう。

 

年齢を言い訳にする

 いくつになっても若々しい人は、いつもワクワクしながら新たなことに挑戦していることが多いものです。とりあえずやってみたい…。という好奇心を持っていると、脳が活性化され、新しいことに柔軟に対応できるようになるものです。逆に、歳をとって、色々なことに興味がなくなり、新しいことをやることが億劫になってくると、成長しないどころか、どんどん退行していってしまいます。なぜなら、時代はどんどん進化しているので、例え現状維持をするにしても、大なり小なり新しいものを取り入れたりする努力が必要だからです。そうしないと、時代に取り残されてしまうことも多いのです。僕は、仕事場でベテランスタッフにいつも言っていることがあります。それは最先端を行く必要はありませんが、遅れるわけには行けません。ということです。どちらにしても、新たなことに挑戦している方が夢中になれて楽しいはずです。とにかくいつでも「ちょっと怖いけど面白そうだから、やってみよう!」と思える好奇心を常に持つように心がけましょう。

 

経年劣化を意識しすぎてしまう

 たとえば、一般的になにかと若い…が魅力的だと思われがちですが、その理屈でものを考えると歳を重ねれば重ねるほど、人の価値が下がっているということになります。でも、そんなことを思っているうちは、まだまだ表面的な魅力しか人を見ていない事になります。もちろん物理的な若さは魅力的ではありますが、そもそも努力しなくても、一定期間は誰もが持っているものであり、歳を重ねれば、みんなが失うものでもあります。そんなものがはたして本当の魅力なのでしょうか?いいえ決してそうではありません。本当の魅力というのは、絶対に色褪せないものです。いくつになってもです。むしろ、色々な経験をして、酸いも甘いも知ってこそ、自分に対しても人に対しても、優しく大らかになったときにジワ~と出てくるものなのです。要するに、人としての器の大きさがポイントとなるのです。まだまだ経験が足りず、自分のことでいっぱいいっぱいの状態の若者には持てないものなのです。

だいたい、若くなくなったことで、価値を見失っていることこそが、精神的に成熟していないとを意味します。要するに大人ならではの魅力を持たないまま、歳だけ重ねてしまった結果かもしれません…。なのでこれからは本当の魅力をきちんと理解し、今までの自分の経験を生かし熟成された大人の魅力が出せる人間を意識していきましょう。

 

最後に

 歳をとるというのは、とても良いことだと思います。なのでそれを残念なことだと感じるようであれば、それは、その人の生き方が単につまらなかっただけのことかもしれません。もちろん歳をとれば、寿命が縮まると同時に体力が落ちてきますし、それに記憶力が衰えてくることもあります。でも、その分、経験によって得られていることもたくさんあるのです。そして、その重ねてきた月日の間に成長してきたことこそが、自分にとって、生きるための盾にも槍にもなるのです。歳を重ねたときの若々しさというのは、前向きさや柔軟さといった大人ならではの成熟がなければ出てこないものなのです。つまり、怠けて、ただただ歳を取っただけでは、ダメだということです。だからこそ、歳を重ねれば重ねるほど、魅力に大きな差が出てくるのかもしれません。なのでこれからは、歳を重ねてきた自分を誇りに思い、魅力的でいられるように、自己を磨いていきましょう。

 

お金に困らない人間関係を考える

f:id:rjmatsumura:20200625163615j:plain

 交通事故から約3週間ようやく各部位のすり傷は、かさぶたとなりムズムズ痒くなりようやく治りつつあります。激痛に悩まされていた肋骨の骨折も日に日に痛みが和らぎ就寝中の寝返りで目が覚めることも無くなりました。しかし首に受けたダメージは、なかなか改善の兆しが見えてきません。パソコンの前で30分も仕事をしているとジワジワと首に重しを乗せられたような鈍痛に襲われます。そんな時は、思わず仕事の手を止めて店舗の外に出て5分ほど景色を見るようにします。すると徐々に首の痛みが和らいできます。ひょっとして僕はインドアな仕事には向いてないのかな?といまさらながらふと思ったりしてしまいました…。さて今回は、厳しい社会で生きていく中、避けて通れない人間関係について考えてみたいと思います。

 

成功を呼び込む法則を探る

 昔からお金と成功は、ピンチの時にチョッとした対応の違いで手に入るものと、聞かされたことがあります。それに現在もなぜかコロナ過で不景気にも関わらず仕事が順調でお金回りの良い人がいたりします。逆に一生懸命働いても、なかなか仕事もお金もままならない人がいるのもこれまた事実です。要するに逆境やピンチの時の考え方や行動の仕方でどちらにも転ぶということなのです。そこで身近な日常にある仕事の失敗、人間関係のゴタゴタなど、とにかく日常の困難をどうにかこうにか乗り切ることで仕事とお金の運を引きこむ方法について色々と調べてみることにしました。

 

成功も幸せも収まるべき場所に収まる

 成功者も幸せな人も、みな共通の空気感やオーラを持っているものです。たとえば、以下のようなものが挙げられるでしょう。

  • この人と一緒にいると何だか安心感がある
  • この人と一緒に仕事をするといい仕事ができそう
  • この人と一緒なら何かあってもきっと大丈夫

とにかく一緒にいると不思議とそんな感覚にさせられる人物です。こういう人と一緒に仕事や生活をすることで、自然にその人のパワーというかエネルギーをもらうことができるのです。逆にマイナスのオーラを発している人とずっと一緒にいると、自分も知らないうちにその波動に同調してしまい厄介な性格になり幸せの薄い人生を送ることになるのです。

 

逆境に動じない明るい振舞い

 まず、逆境の時こそ明るく振舞うことが大切です。どんなことがあろうと信じて明るさを失わない信念こそが鈴なりについてくる部下の羨望を集めるのです。何かの記事で読みましたが、海難事故などで漂流して生き残る場合、リーダーが「自分たちは絶対に助かる」「絶対に何とかなる」と楽観的な意志表示をするケースだといいます。明るい波動やエネルギーは人に伝わり、増幅されるパワーを持っているようです。ただし、単純なプラス思考とは少し意味が違います。やれることはやったけれど、あとはもう流れと運命に委ねるしかないというある意味「開き直り」なのです。物事には自分がコントロールできる部分とそうでない部分が必ずあるものです。コントロールできないことに思い悩んでも無駄であり意味のないことなのです。それならアッサリやれることはやって、あとは野となれ山となれ!という潔さが大事かもしれません。恐らく人は、成功している人のさわやかな明るさに触れる連続で、単なるプラス思考だけでは説明不可能な求心力に引き付けられるのかもしれません。

 

成功する人は突出した人が大好き

 運とか運命とかは人が運んでくるものとよく言われます。確かに、良い話をもたらしてくれるのは最初に知り合った人物というよりも、その人物が紹介してくれた人、二次的人脈のような気がします。例えて言うなら、人は直接名刺交換した相手よりも、自分が信頼する人から紹介された人物を信用したり重視したりする傾向があるのです。更にいえば、自分で自分のことを売り込むのと、他人が自分のことを売り込んでくれるのとでは信憑性がぜんぜん違います。自分で自分のことを宣伝するより、他人が自分のことを宣伝してくれる方が絶対的に効果があるのです。うまく言えませんがインターネットで繋がるネットワークとは違うネットワークなのです。自分の知らないところで、自分の評判がやり取りされ増幅される。ネットワークです。そしてこの絆が強い人達は、たいていの場合人から助けられたり、良い話が舞い込んでくることが多いのです。

 

最後に

 という訳で以上の様な背景を意識できるようになると、今までの人間関係の作り方に自ずと変化が出てくるはずです。要するに沢山の知り合いを浅く広く作るより、5人なら5人のコアな関係をとりあえず作ることなのです。すると5人にはやはり5人のコアな人がいて、それぞれにまた5人のコアな関係があります。すると5×5×5=125人の強固な人脈ができる計算になるわけです。なんかマルチ商法みたいですが、全然違いますよ…。とにかく逆境の時に助けてくれるような信頼性の高い頼りになる5人のコアな人を作るのです。それだけでほぼ必要な人脈、人間関係はでき上がっていくのです。人脈作りのためと言って異業種交流会でたくさんの名刺を集めたところで、それはあまり意味がありません。そこで展開される人脈GETのローラー作戦は失敗の確立が非常に高いのです。考えるに成功する人や、金運に恵まれている人はそんなところで名刺を配る人脈GETのローラー作戦より、すでにある目の前のコアな5人を大切にするのです。なので、今一度自分の周りの大切な人をもう一度再認識、若しくは再確認してみてはどうでしょうか…。

 

 

 

交通事故は痛いだけ

f:id:rjmatsumura:20200613165742j:plain

 交通事故から約3週間ようやく各部位のすり傷は、かさぶたとなり治りつつあります。激痛に悩まされていた肋骨の損傷も日に日に痛みが和らぎ就寝中の寝返りで目が覚めることも無くなりました。しかし首に受けたダメージは、なかなか改善の兆しが見えてきません。パソコンの前で30分も仕事をしているとたちまち首に重しを乗せられたような鈍痛に襲われます。そんな時仕事の手を止めて店舗の外に出て5分ほど景色を見ていると徐々に首の痛みが和らいできます。考えるに「ひょっとして僕はインドアな仕事には向いてないのかな?」いまさらですね…。

 そんなわけで本日は、診察の日ということで朝から先生に診てもらいました。レントゲンを撮り先生から診断は、「やはり折れてますね…。」でした。

僕:ということはどうすればいいのですか?

先生:う~ん…。なんか薬とかいります?

僕:ていうか、薬いるんですか?

先生:いやべつに…いらんか。

僕:で今後の治療方針をお聞かせください。

先生:今まで通りの方法でいいと思います。

僕:そしたらリハビリを続けたらいいんですね?

先生:はい、しばらくはそれを続けてください。

という感じでフェードアウトしました。なので僕は引き続き肋骨と頸椎損傷の痛みが改善するまで治療に通うこととなりました。肋骨は、日にち薬で無理さえしなければ、痛みが和らいでくる気がしますが、頸椎の痛みは本当に憂鬱です。片頭痛がしたり、首に鈍痛を感じたり、時折脊髄や腕がしびれたりと今回改めて思いましたが、バイクの事故は、生身なのでホントヤバいです。ただただ憂鬱で痛いだけです。皆さんもバイクを乗るときは十分注意しましょう。

 

尊敬される上司にある人望とは

f:id:rjmatsumura:20200526173241j:plain

 交通事故から12日が過ぎ痛みが薄れだしたところとはっきり痛いところが明確になってまいりました。足首やひざ腰などの打撲及び擦過傷は日に日に治り少しかゆいです。しかしながら肋骨と首はいっこうに痛みが取れず昨日からリハビリがスタートしました。整形外科の先生曰く「これは少し時間がかかりますよ~…。」って軽くビビらされました。できれば今年の事故は今年のうちに完治したいものです。さてこんかいは、誰でもが持ち合わせない「人望」について考えてみることにしました。

仕事によっては沢山の部下を従えてする場合と少数精鋭制でほとんど部下を持たない場合があります。たとえば、自分に憧れて、自分を目標にしている部下がもしいたとしたら、仕事を任せるのは簡単でしょう。そこで、こっそり胸に手を当てて考えてみましょう。正直言って自分には人望があるのか…?はたして自分についてきてくれる部下は何人いるのか?仕事を任せられる部下が何人いるだろう…?そもそも人望の厚い上司とそれを慕う部下の信頼に溢れる空気感は、見てればすぐにわかります。ただ一緒に仕事をするのではなく、「志」を共にし、リスペクトし合い、人生の大切な時を共有する。そんな関係性は、部下をもっている若しくはこれから持つという上司にとっては正直理想と言って良いでしょう。

 

人望の厚い人の共通点とは

 そもそも人望とは辞書で調べてみると、他人から崇拝(すうはい)されるほどの信頼を集め、期待されている状態を言います。この人ならやってくれるんじゃないか、この人と一緒にいたら人生がもっとよくなるんじゃないか…。そういう期待を集める人なのです。あと、チョッと違いますが「人気」というのがあります。比べて考えると以下のようになります。社会でいえば人望は「仲間」から、人気は「顧客」から支持されるということです。たとえば「人気があって人望がない人」は、スタープレーヤーに多い特徴だそうです。人気の俳優、人気のスポーツ選手、人気の営業マンなどは、価値を提供する相手には支持されたとしても、一緒に働く仲間から評判が悪いと、人望はないということになります。つまり、人望とは、一緒に長い時間を過ごす仕事仲間から、その人間性の本質をみられ、一貫性のある人物かどうかを問われているといえるのです。そう考えるとなかなか人間関係を構築していくのは難しいですね…。

 

リーダーにあるいくつかの要素

 人望について最も実用的だと感じるものが、次の要素です。まず最初は論理的に説明し、相手を納得させる力です。その次に周囲の人と愛情深く関わり、成長を願う温かい心。そして最後は、この人は裏切れないと思わせる、ほどよい緊張感、ある種の怖さを抱かせる無言の威圧感でしょう。

この三つで理想のリーダーがコンプリートされます。なので一つしか持たないリーダーなんかは、困ったリーダーとなります。たとえば、理屈ばかりで情に薄く、怖さもない。また、いい人ではあるのですが理屈で説明できず、怖さもない。最後は論理的な説明がなく、情も感じられず、ただ怖いだけというのもあります。こういったリーダーであれば、なかなか人はついてきません。あと、どれか二つの面を持つリーダーは、優秀なリーダーといえるでしょう。たとえば、理屈も言えて情もある。部下からすれば気安く関われる優しいリーダーですが、怖さがないので、ここぞというときに基準が下がります。どちらかと言えば、仲よしクラブ的なチームを作りがちかもしれません。逆に、理屈が言えて怖さもあるのですが、情が感じられず、冷徹なパターンもあります。仕事はできても部下の離職が出てしまったり、成果を上げても上司についていきたいと言ってもらえなかったりと、ドライで孤独な上司になる傾向があります。あと、情と恐怖を持ち合わせるリーダーは、なかなかまれです。「アルプスの少女ハイジ」にでてくる「アルムおんじ」みたいなタイプかもしれませんね…。

 

人望のあるリーダーの特徴

 三つの要素を持ち合わせたリーダーは、論理的で、情に厚く、かつ怖さもある。とにかく「この人の期待に応えたい」「この人のために働きたい」そう思わせるリーダーは、まさにこの三つを兼ね備えていると言えるのです。優れたリーダーというのは、どこか怖さを感じるのですが、それを上回る愛情があるので、とてつもない魅力を周囲に感じさせるのだと思います。従って自分が人望のある上司になる為には、バランスよく強弱をつけていきましょう。強く出過ぎるところがあれば少し抑え、弱い面があればそこを強化すれば確実に部下から慕われるいい上司になれるはずです。

 

人望強化大作戦

 それでは人望強化の方法を考えていきましょう。まず論理的であるには、「言語化」と「理由づけ」が重要です。この面が弱い人は、「感覚」や「感性」で仕事をしてしまっており、自分の考えを言葉にしたり、表現したりすることがすこぶる苦手と言えるでしょう。なぜこの仕事をするのか、この仕事をするとどんな価値があるのか、自分が考えていることを言語化し、仕事の理由づけする習慣をつける必要があります。具体的には、文章を書くことが推奨されています。次に感覚で話す人は、その場の勢いや感情で話を進めてしまうため、言語化がおろそかになってしまいます。日々の日報や業務報告書など、文章を書くときに、これは論理的であるための文章作成なのだと認識して取り組むと、強化されていくでしょう。そして愛情の部分を強化するには、「関心を示す」「声掛け」が有効です。この面が弱い人は、あまり声掛けをしていません。「仕事の進捗は大丈夫かな? 何か問題ないかな?」「よく頑張っているね~…。」そういった自分の心境や相手への関心を言葉にしていないので、非情な人と見られてしまうと考えられます。なのでとりあえず「声掛け」からスタートするといいでしょう。部下が今どんな気持ちなのか聞いたり、自分が相手に期待していることを言葉にしたり、関心を持っていたらするだろう言葉を口にすると、驚くほど良い効果が表れると思います。部下は、上司に関心を持ってもらうことでモチベーションが急激に高まるといいます。そんな部下の様子を見て、元々関心が薄かった人でも、徐々に高めていくことができるわけなんです。

 

人望のあるリーダーは志が強い

 そして、強化するのが最も難しいのはやはり恐怖でしょう。慕われていると言えば聞こえはいいのですが、言い換えれば、ただのゆるいリーダーかもしれません。論理的で愛情たっぷりで恐怖もそれなりでいいのはいいんですが、それ以上に「志」が重要なのです。絶対に達成する、何としてもやり遂げる、この志が強く、その志を「なぜやるのか」という理由付けと、それを行うことで皆が成長できるという愛情と情熱、この熱量が高いことによって、「この人の志を応援したい」「この人の志は邪魔できない」「この人を裏切ることはできない」という緊張感を生むのです。高い志に向かい、まっすぐに進む姿を見て、人はその背面にほのかな恐怖を感じるのです。自分自身の恐怖を強化したければ、恐怖を強める必要はありません。志を高め、「理」と「情」だけを強化すれば、「恐怖」はほのかに立ちあがってくるはずです。

 

最後に

 ところで、皆さんはピンチのときに、どんな振る舞いをしていますか?普段は尊敬され人望の厚い人物でも、ピンチに陥ると、人格が崩れてしまう人がいます。たとえば、売上が上がらない、思ったような結果が出ない、他者から批判を受けた、自分が評価されない、プライベートがうまくいっていないなど、人生において、いろいろなピンチが訪れます。そんなとき、理由を説明しなくなったり、愛情を示さなかったり、やたら「恐怖」を前面に出したりすると、部下は「普段のあなた」ではなく、「ピンチのあなた」が本性だと捉えます。したがって、ピンチのときこそ人望が問われていると認識するべきなのです。なのでむしろ、ピンチのときは、人望を獲得する絶好のチャンスなのです。ピンチのときでもブレないあなたを見て、部下はあなたに強い一貫性を感じ、尊敬し、崇拝するようになるのです。平常時だけでなく、ピンチのときも平常心をキープして、いかにピンチをチャンスに変えることができる素晴らしい上司かをこれからの部下たちに見せつけてやりましょう!もちろん部下がいる前提ですけどね…。

 

 

 

衝突事故で全身打撲

f:id:rjmatsumura:20200605193230j:plain

バイクの事故は痛い

 10年以上大切に乗り続けていた車両とお別れの時が来たかもしれません。先週金曜日、職場から帰宅途中、ガソリンスタンドに右折で入ろうとする車と衝突しました。僕が走る走行車線が渋滞だったので対向車が車の陰に隠れて全く何も見えない状態のところ、そんな間を勢いよく1台の軽自動車が、飛び出してきたわけです。大急ぎでブレーキを掛けましたが、間に合うはずもなく飛び出てきた車に勢いよく衝突しました。

 

衝突の恐怖どころではない痛さ

 僕は全身を強く打ちその場に倒れこみました。その時は息ができないほど激痛に襲われ声も出ず動くことなどとんでもありませんでした。しばらく痛がっていると遠くの方で誰かが「動かすな!」「動かしたらあかん!」「どうしよう…。」という声が聞こえました。少ししてようやく「大丈夫ですか?」の言葉が聞こえてきました。それからさらに少し時間がたってようやく救急車が到着です。ストレッチャーに乗せられ首に固定装具を付けられ救急車の中に運ばれました。すぐに出発すると思いきやま~あれやこれや救急隊員からの質問攻めに合い「どこが痛いですか?」「ここ?」「これ?」「こうしたら痛い?」とにかく色々と聞かれなかなか発車してもらえませんでした。ようやく出発だと思うと今度は遅れて登場した警察官の質問がスタートしました。この人たちは僕を早く病院に運ぶ気があるのだろうか…?と若干ビビってしまいました。おまけに近くの救急病院は、何故かどこも受け入れ拒否をきめこみようやく決まった時には結局15キロぐらい離れた病院に運ばれることになったのです。「僕がもし内臓破裂とかしてたら確実に救急車の中で死んでいるんだろうな~…。」と思いました。

 

救急患者の扱い

 よく覚えていませんが、病院に搬送されたとき病院関係者らしい人達5~6人が僕を囲むようにして処置室へとストレッチャーで運んでくれました。そこでも色々と質問攻めにあい先生が、「とりあえずCTスキャンとレントゲンを撮ろう!」と各部屋へ順番に運ばれ撮影されました。そのころになると体の痛みも幾分かやわらぎ先生の質問にも普通にこたえられるようになりました。食い入るようにCT画像やレントゲン画像を先生が見たのち「う~んどこも折れてなさそうですね。ま~写らなくても細かく骨折している場合があるので恐らく痛いのは痛いと思います。」その答えに周り居た看護師さんたち約3名がどこかに消えていきました。次に先生が、各部位の損傷個所をチェックするため看護師さんたちの手を借り衣類を脱ぎました。「ゆっくりでいいので立ってください。」そして恐る恐る僕が立つと「今度はゆっくりと腕を回してください。」そして痛みに耐えながら腕をゆっくり回すと「これなら帰れそうですね。」え?その瞬間僕の周りには先生と看護師の2人になっていました。

 

結局見送りもなく病院を後に

 最初によってたかって脱がされた着衣を自分一人で着、すり傷の処置もされず、打撲のシップも張られず痛み止めの錠剤を3粒もらっただけでした。治療室を出る時には、僕の体に手を添えて身を繰られることもなく「清算があるので、そこのベンチで座っておいてください。」と言われ僕の集中治療は終わりをとげたのです。各部位の撮影に約5分、先生の問診に約3分、そんな感覚でした…。待合室で経過報告がてら警察に電話をしながら待つこと約5分事務員さんから「松村堂さん事故の場合わね保険の適応が無いのと救急ということもあってちょっと高いんですけどお金あります?」「そんなにたくさん持ちあわせがありませんがいくらですか?」「え~と、7万5千円ですが、大丈夫?」約15分ほどの出来事に7万5千円とは、正直驚きました。さすがに所持金にないので後日、保険会社から支払いでお願いすることにしました。借用書めいたものを病院で受け取り真っ暗な院内を迷いながらうたたねをする警備員さんの横にある勝手口から一人ひっそりと病院を後にしました…。派手に病院に搬送されこっそり裏口から一人出ていくとは、何ともむなしい出来事でした。

 

明日からの日常

 帰りは、仕事先の上司に迎えに来てもらい途中「びっくりドンキー」で夕食をごちそうになり自宅まで送ってもらいました。お風呂に入り横になった時にはとにかく体中が痛くて朝までほとんど睡眠がとれない状態でした。翌日自分のバイクをスタッフと一緒に現場へ取りに行きました。週末ということもあり病院はどこも休みで翌週の月曜日に再度近くの整形外科へ診察しに行きました。改めて診察の結果、肋軟骨の損傷と頸椎にずれがあるということで来週からリハビリになるようです。皆さんも事故には十分気を付けてください。そんなわけでしばらくは、バイクに乗れません。トホホホ…。

 

最後に

 常日頃お客様の案件で事故対応を仕事柄頻繁にするのですが、まさか自分が当事者になり事を進めるとは、何とも複雑な心境です。今後様々な対応を強いられますが、第三者ではないので非常にやり難いです。とうぜん感情も少なからずとも影響するので面倒くさいです。事務処理は超スムーズに進むもやはり複雑な心境が後追いするのも何とも嫌な感じですね…。今回の保険対応は、人身傷害と、物損の二本立てです。とにかく保険会社との折衝をサッサと終わらして早く忘れたいです。

 

 

人口密度が超低い京都を激写

f:id:rjmatsumura:20200528112141j:plain

八坂神社から見る円山公園方面

 昨日久しぶりに京都市内の五社巡りをHONDAのカブでしてきました。八坂神社から始まり城南宮、松尾大社、上賀茂神社そして最後に平安神です。途中嵐山を経由し仁和寺、龍安寺、金閣寺を横目に見ながら観光道路を走ってきました。緊急事態宣言が解かれたといえども、そうすぐに観光客が返ってくるはずもなく何処も驚くほど、ガラガラで若干の危機感を感じました。それでも新緑の京都は、本当に素晴らしい街並みです。という訳でとても人の少ないタイミングの京都をチョコッとだけ写真に収めてきました。

 

2020人の少ない京都 を探訪

 いつも友人と一緒に京都市内をHONDAカブに乗って京都ガイドがてらそこらじゅうを徘徊しているのですが、かつてこれほど人口密度の低い京都を体験したことがありません。改めて緊急事態宣言の影響力と日本国民の民度の高さに感心させられました。


人のいない八坂神社

f:id:rjmatsumura:20200528113424j:plain

 午前10時の八坂神社です。決して閉門中ではありません。「人が…。」

 

 

f:id:rjmatsumura:20200528114528j:plain

 お参りのマストアイティムと言っても過言でない鈴がならせません。非接触の徹底ということでしょう…。ただしお賽銭とお礼と柏手は大丈夫のようでした。

 

 

はっきり見える花見小路通りの石畳

f:id:rjmatsumura:20200528141545j:plain

 祇園の花見小路通りは、御覧の通りガランガランです。因みに車の向こうの通りが東西に横たわる四条通りです。

 

 

f:id:rjmatsumura:20200528141702j:plain

 もう少し進むと左側に歌舞練場が出てきます。歌舞練場というのは祇園、先斗町や上七軒の花街にある劇場でもあり、同時に芸妓さんや舞妓さんのための歌や舞踊、楽器等の練習場でもあります。

 

 

パンフレットレットを思わせる無人の境内

f:id:rjmatsumura:20200528142210j:plain

伏見城南宮

 ここは京都五社巡りの最南端にある伏見区の城南宮です。この写真は、決してカタログ用にあえて無人の写真を撮った訳でなく、本当に誰もいないのでこのような写真になったのです。正面の本堂屋根は、総チタンで出来ています。一般的には瓦か、銅板か、檜皮なので葺かれていてそれでも相当な費用が掛かります。参考までにチタン屋根は1平方メートル当たりの価格が4万7000~6万6500円と言われています。高価とされる銅屋根でさえ1平方メートル当たり1万9600-2万5200円です。なので単純に2~3倍高価なのです。従ってこのチタン屋根は恐らくかなりの経費が掛かっていると思われます。とりあえず屋根だけでも必見の値打ちありです。

 

 

f:id:rjmatsumura:20200528142535j:plain

 入り口の案内図です。屋根に歴史を感じますね…。もうそろそろ新しいものにすれば…。と勝手に心配しています。

 

 

静かでさらに神秘的な松尾大社

f:id:rjmatsumura:20200528142711j:plain

松尾大社

お酒の神様で有名な松尾大社です。とにかく僕の一押しスポットです。本堂のすぐ後ろに切り立った松尾山がありなんかいいです…。

 

 

f:id:rjmatsumura:20200528142847j:plain

 だけどバスの専用駐車場は1台も止まっていませんでした。

 

 

f:id:rjmatsumura:20200528142942j:plain

 普段ならこの石の亀の甲羅を「スリスリ」さすってご利益を祈るのですが、非接触ということでこの様に亀にビニールで触れなくしてありました。ここでも非接触の徹底を垣間見ました。でもお賽銭はOKです。

 

 

f:id:rjmatsumura:20200528143229j:plain

 境内もこの様にひとっこひとりいません。ここも八坂神社同様に鈴はならせません。でもお賽銭はOKです。

 

 

今世紀最強の閑散さに佇む上賀茂神社

f:id:rjmatsumura:20200528143353j:plain

上賀茂神社

 どうですひとりもいません!人の気配すら感じられませんね…。こんな上賀茂神社初めて見ました。寂しい~。

 

 

f:id:rjmatsumura:20200528143504j:plain

 境内の中もこの様に閉門しているかのような静けさでした。

 

 

人の往来が殆どない不思議な平安神宮

f:id:rjmatsumura:20200528143609j:plain

 大鳥居を潜って平安神宮の正面を撮影してみました。どうでしょ?こんだけの人だけしかいません。因みにこの時点で午後2時30分くらいだったと思います。

 

 

 


緊急事態宣言解除後の平安神宮

 せっかくなので実際の動画も撮影しておきました。

 

最後に

 本来は、すごい沢山の人たちで賑わっているところが、「非常事態宣言」という号令が一瞬にして観光する人々を消し去ったのです。確かに京都の観光は国内需要だけでは、それほど町がごった返すことがありませんでしたが、インバウンドという形で海外からどっさりと観光客が押し寄せてきたこともあり京都は日本一、布いては世界一の観光都市になったのです。それだけに海外からの観光がない今、緊急事態宣言が解除になったからといって直ぐに活気が戻ってくるとは考えにくいかもしれません。でも、国内観光を目的で京都に来るなら今が絶好のチャンスだと思います。いろんな名所をソーシャルディスタンスをキープしてゆっくり京都を観光を満喫しましょう。

 

 

自分に合った正しい労働時間とは

f:id:rjmatsumura:20200526143026j:plain
 何気に身についてしまった昔からの習わしとは凄まじい影響力を持っています。ある意味宗教なんかもその部類に入るのかもしれません。先祖代々からの刷り込みや、メンタルな部分で壊れかけている時心の隙間に入ってくる新興宗教など、限りなく洗脳に近いものもあります。そこで今回は僕もそうでしたが、何の疑問も感じず「昔からそうだから…。」というだけで就労してきた「労働時間」について考えてみたいと思います。

 

人が労働を強いられる理由

 自分の為、家族の為と一生懸命とにかく四六時中働いている人は、ある意味間違いなく頑張っている人と言えるでしょう…。ただ、そんな頑張っているのにもかかわらず人によっては、人生あまりうまくいっていない場合があります。もし自分がそうだとしたら、一生懸命の方向性を少し考え直す必要があります。しかしながら、今の世の中一生懸命とは無縁かの如くたいして働かずとも優雅に過ごす人たちも存在しています。

 

約200年前から始まったスタンダード

 少し調べてみると労働者の時間が最も搾取されていたのは、どうやら18世紀から19世紀にかけてヨーロッパ各国で起き始めた『産業革命』ようです。主にイギリスの産業革命によって数々の機械が発明・導入され、製造・製鉄・交通などの分野が発達しました。そしてさまざまな技術革新が起こり、工場や機械を持つ資本家が労働者を雇い、モノを作って売るという資本主義が生まれたのです。そうなるうちに、人間の労働時間は劇的に長くなっていきました。一説によれば、1840年ごろのイギリスの労働者は、年に3500時間くらい働いていたそうです…。仮にこれを1年即ち単純に365日で割ると、土日も含めて1日当たり10時間近くの労働時間となります。これが現代で言うところのブラック企業にあてはまるものだと考えられます。その後、徐々に労働時間が減少し始め1919年に制定されたILO第1号条約により、ここでようやく慣れ浸しんだ「8時間労働」が世界に浸透したといいます。そして、その長い月日を経て揺らぐことなく8時間労働は現代まで続いているわけです…。そこでふと疑問が生じます。

 

技術が劇的に進んだはずなのに

 少し考えてみてください。200年前の技術力や生産性と違い現代の技術から生まれる効率性をもってすれば、昔と同じ仕事量をわずかな時間でこなせるはずです。それなのに、なぜか人類は、1世紀以上前と何ら変わらず1日8時間を当たり前に働いているのです。もちろん、たくさん働きたい人はたくさん働けばいいでしょう。ただ、それほど働きたくないのにたくさん働かされている人が未だにいるということです。人によっては年に3800時間くらい働いている人もざらにいるようです。好きで残業しているわけでもないのに、何故かひたすら黙々と働き長時間労働記録を更新し続けている人達が存在するのです。

 

限りない欲望が労働時間を増やす

 現代の技術から生まれる効率性を考えた場合、本当なら大して働かなくても普通に生きられるようになっていてもおかしくないのに、現在も多くの人がまだまだ労働に追われているのです。ある一説によると、生活も仕事も便利で効率的になる一方で、多くの人が必要ないものを買ったり、お金がかかることに楽しみを見いだしたりするようになった為、「もっとお金を稼がなくてはいけない」というループにはまっているというのです。現代多くの人達は、「一生懸命、頑張る」ということの方向性を、実は間違えているのかもしれません。前述したように一生懸命頑張らず沢山のお金を持つ人達も存在します。一生懸命働いていないのに何故か一般的な会社員よりたくさんお金を持っていたりするわけなのです。そうなると少し極端ですが「頑張る」ということ自体、本当はあまり必要ないことなのかもしれません。

 

働けば働くほど偉い人は本当か?

 自分の手を動かして物事をプラスにしていくというのは、目指すべき目標や定めている結果に向かって進んで行く、もしくは誰かが敷いたレールの上を一心不乱に走ることで仕事としての成果を出していく事だと思います。しかし仕事でいちばん重要な部分は、そこではなく新たな発想や、思いつくことなのかもしれません。要するに、アイデアを出すことであって、沢山の仕事に忙殺される日々を送り作業に追われることではないのです。因みに人間の脳は、あれこれといろんなことに頭を使っていない時のほうが思考しやすくできているそうです。そして、うまくいく方法さえ思いつけば、あとは自分自身が頑張らなくとも、できる人に振ることで勝手に物事は回り始めます。

 

時間と成果を考える

 そもそも、やたらと仕事時間を確保したがる人が、すごくうまくいっているという話を、あまり聞いたことないような気がします。「仕事にかける時間は、あればあるほどいい」というのは、要するに、時間を確保するほどに成果が上がるということです。でも、しょせん時間には限りがあるわけですから、その中で得られる成果には当然限界があります。本当は、できるだけ時間をかけずに、より多くの成果を上げたほうがいいわけで、そもそも時間と成果を比例関係で捉えていること自体が間違っているのかもしれませんね…。

 

考える人と動く人の違い

 たとえば、自分が経営する会社で緊急事態が起きたとします。もし自分しか対処できなかったら、すぐに会社に戻って、自分で作業するなり判断するなりしなくてはいけません。当然、時間的コストがかかります。でも、最初から現場の判断で対処できるように仕組みを作っておけば、必要以上に時間をとられずにすむわけです。効率的仕組みを確立したうえで大して動いていない人と、5分おきにスケジュールを入れて動きまくっている人とでは、一見、後者のほうが成果を上げているように見えるかもしれません。しかし実際のところは、おそらく前者のほうが、確実に大きな成果を得ているはずです。時間というコストに対する成果の大きさを見れば、前者の方が、はるかにコストパフォーマンスがいいはずなのです。

 

最後に

 ゼロから始める仕事や人を雇う仕事は時間とコストがかかります。しかし、そのせいで損をするようなプロジェクトなら、最初からやらないことです。もし人を雇うコストを補って余りある利益が見込めるのなら、人を雇ってでもやるべきでしょう。また、人を雇ってもたいした利益が見込めないのなら、自分ひとりでもやらなくていいと思います。要するに、これはコストをかけるかどうかではなく、最初の設計をどうするかという問題なのです。それが誰にも任せたくないほど楽しいことなら、時間をかけて自分ひとりでやるのもいいでしょう…。なので最終的に考えるのは自分にとって本当に価値のある正しい労働時間というのは自分なりに知恵を絞り効率を考えたうえで自分にとって理想の結果が生まれた時の費やした時間だと思います。たとえばそれが、1日3時間で出来たのであれば、自分にとっての正しい労働時間は、1日3時間ということなのです。